道徳なき経済は罪悪である

考え事をしていて、改札で定期ではなく社員証をかざしてしまった転職サラリーマン大家です。考え事じゃなくテンパってるだけなんですけどね。自分の携帯番号も忘れたことないのにパッと思い出せなかったり(認知症の始まりかっ?)。こんにちは。

ブログタイトルは二宮尊徳の言葉ですが、不動産業界にもたくさんあてはまりますね。かぼちゃ、サブリース訴訟、偽装契約、サンタメ、似非コンサル・・・合法、違法様々なれど常に弱き者がカモとなります。ただ、唯一救いなのは不動産投資などでは情報弱者でなければ個人の判断で回避できる可能性が高いということです。

一方、私のようなサラリーマンを本業とする場合、組織の中でこのような問題が発生するとなかなか一人で抗うことは難しい状況です。詳しいことは書けませんが、私も今少しだけそのような問題の真っ只中にあり、対応に苦慮しています。違法ではないが、自分の信念と異なる指示がトップダウンで降りてきた場合どう解決するのか、サラリーマンの宿命といえるかもしれません。先日のブログで日大アメフト部についてちょっとだけ書きましたが、業種は全く違えど結局は自分も同じようなことをしているのではないのか、自問自答しております。もしアメフト部の監督がグレーな指示を出したとしたら、最終的に断れずに実行したプレーヤーだけが悪いのではなく、その周りのコーチやスタッフはその指示を甘受或いは助長していたのではないのか?私も中間管理職という立場にいますので、アメフト部のコーチやスタッフと同じ状況なのかもしれません。しかもトップが圧倒的権力を支配し、反発しようものなら有形無形の圧力が掛かってくることも予想されますし、知識・経験のレベルも違いますのであらゆる面で圧倒されると思います。結果、トップダウンの指示をできるだけ弾力性を持たせながら少しだけ軌道修正し現場側で落としどころを見つける作業に終始します。

なんだか具体的なことを書けないので何いってるのか分からないかもしれませんが、建設的な作業ではないのでストレスもかかり疲れる、更には判断力が低下し冒頭の改札口で社員証をかざしてしまったというところに戻るのでした。

道徳なき経済は罪悪であるのは間違いありませんが、一方で尊徳は「経済を忘れた道徳は寝言である」とも言っています。ボランティア活動そのものはすばらしいことだと思いますが、その活動費はほとんどの場合誰かからの寄付に頼っています。ボランティアをするためにボランティアを受けている状況がベストではありません。もちろんお金を出す人と実行する人の役割分担が重要なんだということも理解できますが。やはり、社会貢献活動の本質は自分が安定して稼いだ利益を社会に還元することであり、そういった人間になれるようになりたいと思います。

今の私は、「経済を忘れた道徳は寝言である」と言いながら「道徳なき経済」に少し加担しているギャップに苦しんでる状況ですので、少しずつ改善してまいりたいと思います。

っていうほどは苦しんでないけどね。サラリーマン経験の中でもよくあることですし。

明日は切り替えて、人生初の内見立会いに行ってきます。

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